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6月のおはなし ~寛永寺 その⑪~

前回に引き続き寛永寺の各お堂などを個別にご紹介していきます。
今回は清水観音堂(きよみず かんのんどう)です。

寛永寺山内に現存している堂宇の中で、最も古いお堂である清水観音堂(以下、清水堂)は、寛永8年(1631)に現在の上野公園内、正岡子規記念球場横の摺鉢山上に建立されました。
摺鉢(すりばち)を逆さに置いた形をしているのでこう呼ばれる摺鉢山は、古代の古墳であり海抜17メートルと上野の山の中で一番の標高です。
ここに、京都の清水寺(きよみずでら)を模した舞台造りで建立されたのですが、後の元禄初頭期に現在地(通称:桜ヶ岡)に移転しています。
この移転は、元禄11年に完成した根本中堂との位置関係を考慮した、それまで桜ヶ岡にあった林大学頭(はやし だいがくのかみ)の屋敷が元禄3年に湯島に移転し、空いていた、一般の参拝者が訪れる堂宇をより近接させた、など複数の理由があると言われています。

慈眼大師縁起絵巻(じげんだいしえんぎえまき・画:住吉具慶)に描かれる当初の姿をみると、移転の際にも形式を変更せず、当初の姿を保って移されたことが判ります。
単層入母屋造、間口7間、奥行6間半、前面舞台造り付きのお堂は、数度にわたる江戸の大火、上野戦争(彰義隊の戦い)、関東大震災、太平洋戦争と幾多の戦災をくぐり抜けています。
そしてその堂内には、京都の清水寺から勧請された千手観音像を本尊として安置し、その両脇には勝軍地蔵尊(しょうぐんじぞうそん)と毘沙門天、二十八部衆を安置しており、これらも清水寺に倣った祀り方であり、創建した天海僧正のこだわりが覗えます。

しかし一点、清水寺との違いがあります。

京都清水寺の本尊は立像(りゅうぞう)なのに対し、上野清水堂の本尊は座像なのです。

実は上野清水堂の千手観音像は、天台宗の僧侶であり日本浄土教の祖、恵心僧都源信(えしんそうず げんしん)の作と伝えられています。

それがなぜ宗派の違う清水寺に安置されていたのかは定かではありませんが、おそらく天海僧正は形状の一致よりも、恵心僧都の作であるお仏像を清水寺からお招きすることの方を重視したのでしょう。
尚、このご本尊は秘仏で普段はお前立(仮の本尊)をお参り頂いておりますが、年に一度、2月の初午の日だけご開帳しております。(令和5年は2月5日の日曜日です)

清水観音堂は今日も上野公園内に位置し、日々、多くの方がご参拝されています。
どうぞ皆さまのご参拝をお待ちしております。

東叡山寛永寺 教化部