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10月のおはなし ~天海大僧正と德川家光公~

10月2日は、東叡山寛永寺を開山された天海大僧正のご命日です。寛永寺では、天海大僧正をお祀りする開山堂(かいさんどう)(両大師)において、一山住職全員で「開山会」を行いその遺徳への報恩を行っています。

天海大僧正は、今でこそ歴史学の研究が進んだことにより108歳のご長命であったことがわかっています。しかし現代から見てもあまりに長寿であったことから、実は豊臣秀吉との天王山の戦いに敗れた明智光秀が生き延びて天海大僧正に変わったのだというとんでもない言い伝えも、どうやらだいぶ信じられていたのです(もちろんこの説は70年以上前に否定されています)。

さて天海大僧正は、德川家康公の精神的支柱として側近となったことから始まり、秀忠公・家光公と、三代にわたって仕えました。特に家光公は家康公を大変に尊敬されていたのですが、その家康公が心を許した天海大僧正がまだ存命であったことから、家光公は天海大僧正をまさに崇拝したのです。このとき天海大僧正は、織田信長公によって焼かれてしまった延暦寺の復興に尽力していました。こうした関係から、延暦寺の根本中堂が現在の形に再建されたのがまさに家光公の時代だったのです。

ところでこうしたお二人の関係をめぐって、天海大僧正が家光公に送った一句が伝わっています。

長命は  粗食(そじき) 正直 日湯(ひゆ) 陀羅尼(だらに)  折々ご下風(かふう)  遊ばさるべし
長寿の秘決は、ぜいたくな食事をしないこと、正直であること、毎日お風呂に入ること、陀羅尼という仏教の呪文を唱えること、そしてたまには「おなら」をなさることです。

おならと言うとずいぶんおかしな気がしますが、70歳近く年下の将軍に長寿をアドバイスする天海大僧正の人間味が伝わってくるのではないでしょうか。皆さまも日々お忙しいことと思いますが、天海大僧正の一句をたまには思い出して、緊張をほぐしていただければ幸いです。

天海大僧正を祀る開山堂(両大師)は江戸期の版画にも描かれています。