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4月のおはなし ~上野の桜~

今年は例年より早い開花となった上野の桜、コロナ禍につき宴会は禁止で訪れる方々は密を避けてお行儀よくお花見をされています。

この上野の桜のお花見、実は寛永寺を開いた天海大僧正による発祥なのです。

もともとお花見は奈良時代に中国より梅の花を鑑賞する行事として宮中に伝来したそうで、梅の花は形も可愛らしく香りも良いうえ、旧暦の正月前後に咲くことから縁起も良いとして珍重されてきました。
その後、公家から武士へと花見文化が広がっていくうちに、梅だけでなく桜も花見の対象となっていったそうです。

さて、寛永寺が創建された江戸時代初期は、現在のように庶民が自由に旅行に行ける時代ではありませんでした(お伊勢参りが流行するのはもう少し後の元禄の頃です)。
そんな頃、江戸幕府は江戸城の鬼門(北東)に祈祷寺を創設することを計画、そこは官寺として関係者のみが参拝することを想定していました。
しかしその創建を任された天海大僧正は、新たに作るその寺を江戸庶民が自由に参拝し行楽できる場所にしようと考えました。
具体的には、見立てという思想のもと、実際に京都や比叡山に旅行に行けなくても現地の雰囲気を感じられるよう、様々な名所を模した建物や景色を境内に造ったのです。
それは幕府の意向と反するものであったので幕府からの資金援助は制限されますが、それでも天海大僧正は私費を投じ、また交流のあった諸大名の協力を得て寛永寺の境内を整備していったのです。
そしてその一つとして、奈良の吉野山から移されたヤマザクラが境内の各所に植えられ、また開花の時期には広く境内を開放して多くの人々の目を楽しませたそうです。

明治以降、寛永寺の境内は上野公園に姿を変え、植えられた桜もヤマザクラからソメイヨシノへと変わりましたが多くの人がお花見に訪れる光景は続いています。
尚、お寺の境内でしたので寛永寺でのお花見は飲酒禁止だったそうです。

そう聞くと、今年の宴会禁止も素直に受け入れて頂きやすいのではないかと思いご紹介致しました。

東叡山寛永寺 教化部

寛永寺清水観音堂の舞台より月の松と桜越しに弁天堂を望む
いずれも江戸名所として多くの浮世絵の題材になっています