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11月のおはなし ~天台大師・霊山同聴~

 11月24日は、私たちの宗派である天台宗を中国で開かれた天台大師(てんだいだいし)智顗(ちぎ)さまのご命日です。天台宗は伝教大師最澄さまが開いたことは広く知られていますが、もともと天台の教えは中国にありました。伝教大師は遣唐使船で中国に渡り、中国で天台の教えを学んだのです。伝教大師は約1200年前の日本の方、天台大師は約1400年前の中国の方です。

 天台大師のエピソードに「霊山同聴(りょうぜんどうちょう)」というものがあります。若き天台大師が修行の際に、どうしても会いたいと願っていた慧思(えし)禅師に初めて会ったときの話です。慧思禅師は大変厳しい修行で知られている方だったので、天台大師はさぞ緊張されたことでしょう。ところが慧思さまは、初対面にもかかわらず「私とあなたは前世のはるか昔に霊鷲山(りょうじゅせん)で、一緒にお釈迦さまから『法華経』を聞いたのだ」と話されました。

 『法華経』は2500年前にインドの霊鷲山でお釈迦様が説いたものです。いくら前世の話だと言っても、まさかあこがれの存在に親しく声をかけていただいた天台大師は、さぞ感激したことでしょう。こうして天台大師のご修行は本格的になり、ついには慧思さまに代わって他のお弟子さんへの講義を行うようになるのです。

 慧思さまの元での修行は8年に及び、天台大師は慧思さまのすすめによって学問的研究が盛んな江南の地方に向かいます。慧思さまは別れに当たって、「あなたがそちらに向かえば必ず人々に利益を与えるだろう」と言ったと伝えられています。

 その後、天台大師によって天台の教えは広く伝えられました。その功績は「中国の若きお釈迦様」などと呼ばれるほどに評価され、また天台の教えを知った伝教大師によって日本に広められました。こうして天台の教えは現在まで脈々とつながっているのです。こうした天台大師の徳を称える法要を、寛永寺では毎年ご命日である11月24日に行っています。

 ちなみに慧思さまと別れた後の天台大師が、38歳のときに修行道場を構えたのが「天台山」(中国・浙江省)という山です。私たち天台宗は、この地名を宗派の名称としていただいているのです。

根本中堂に祀られる天台大師尊像
頭頂部に禅鎮を乗せ座禅を組んでいる