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12月のおはなし ~自灯明、法灯明~

年末も近づき流行語大賞や清水寺で発表される漢字検定協会選定の今年の漢字などが気になる頃です。
そんな中、流行語大賞にもノミネートされているGoToキャンペーンにおいて除外となる地域及び利用自粛の要請をされる地域が発表されました。
多くの方が利用している制度ですので反響も大きく、これを受けてワイドショーなどでは盛んに「ではこういう場合の利用は良いのか?」とか「除外地域でもこうすれば利用できる」などの重箱の隅をつつくような考察や、まるで大喜利めいた抜け道探しが行われています。

この頻繁に議論される「○○しても良いのか?」という議題、どうして誰かに判断を委ねたり、許可を求めたりしてしまうのでしょう?
確かに専門家や有識者に「大丈夫!良いですよ!」と太鼓判をもらうと安心できますね。
しかし本来は、各自が感染予防を徹底した上で、文化的生活や経済活動も疎かにしない事が理想であり、また各々に都合や事情がありますので一括りにするのはとても難しいはずです。
ですがそこはテレビ、ましてやワイド“ショー”ですから目と耳を引くような内容になりがちですので、あくまで参考や目安程度に止めたいものです。
根拠や理由を他者やその発言に委ねることは気持ちを楽にしますが、反面で自ら考える習慣を奪いかねません。

釈尊は亡くなる直前、釈尊亡き後を不安に思う弟子たちにこう説きました。
「他者を依(よ)りどころにしてはならない。自らを依りどころとし、また仏の教えを依りどころとしなさい。」暖かな灯明は不安な心の依りどころとなり、仏の教えは法と表されますので、この教えを自灯明、法灯明(じとうみょう、ほうとうみょう)と呼びます。
不安定で移ろいゆくもの(=他者)に依存することなく、揺らぐことのない仏の教えと、それを根幹とした自らの意志によって生きる。
自らの命は己以外誰のものでもなく、他の誰かに委ねるものではないのです。
情報が溢れ、ひとつひとつの真偽を判別することが難しく、また選択肢の多さが逆に、誰を信じ何を頼るべきかの判断を困難にさせる現代だからこそ、この教えがひときわ輝くのではないでしょうか。

街並みにイルミネーションの灯る時期です。私たちの心にも明かりを灯してみましょう。

東叡山寛永寺 教化部