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10月のおはなし ~パンダの命名に思う~

先日、上野動物園で6月に産まれたパンダの名前が「香香(シャンシャン)」に決まったというニュースが流れました。動物園さんは上野地区の文化施設として寛永寺と協力することが多いため、まるで私たちのことのようにうれしく思いました。これからの成長が今から楽しみです。

ところで、「香香」という名前は見るからにいい香りがただよってきそうですが、仏教では「香」をどのように考えるのでしょうか。せっかくの機会なのでご紹介致します。

お寺で「香」というと、まずはお線香やお焼香をイメージされるかと思います。仏教では、まずこの「香り」について「仏さまの教えを象徴するもの」と捉えました。部屋の中でお線香をつけると部屋の形がどのようであれ香りに包まれますし、また隣の部屋までもなんとなく香りがただよってくるかのようです。これを「仏さまの教えが満ちあふれた状態」というように考えたのです。

またそれだけでなく「香り」が雲のように広がるさまが、寛永寺だけでなく天台宗で日常的に唱えるお経に次のように説かれています。

この香華(こうげ)の雲を受け もって光明の台(うてな)となし 
広く無辺界において受容し 仏事を作したまえ   (『供養文』)
お花や焼香の香りが雲のように広がったのが 仏さまの教えが説かれる座席となって (さらに)座席が私たちの心の中からあらゆる世界にあると理解され (あらゆる座席に仏さまが座って)教えをお説き下さいますように

お線香やお焼香の煙は、立ちのぼるといつしか見えなくなってしまいます。しかし実は雲のように広がることで、仏さまの教えが説かれる席となるのです。つまりお焼香などをすることは、仏さまの座席をあなた自身が作っていることに他ならないのです。